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お酒のいろはにほへと

人の技と自然の力

いい水、いい米、そして優れた人の技。これらの要素がすべて揃わなければ、極上の銘酒は、生まれない。美味なる酒は、福岡で生まれる。酒造りという文化が花開いた、全国有数の酒どころ福岡。珠玉の雫が今日も生まれます。

博多焼酎学大全

全国生産量二位!!福岡の酒造業が県の重要物産に指定。

pic_02_06.png明治30年(1897年)は、福岡県の酒づくりにとって大きな励みとなる年となりました。
福岡県が、県内の酒造業を「重要物産」に指定したのです。
品質の向上につれて人気が高まり、販路も全国に広がっていくなど、福岡の酒は全国二位の石高を誇る県の代表産業に成長していました。
パリで開催された万国博覧会に出品して入賞を果たすなど、対外的にも意気上がる蔵元たち。
重要物産の指定を受けて以降は、さらに品評会の開催や博覧会への出品が増え、切磋琢磨の気風が強まりました。

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昭和の戦中、戦後の酒はどうだった?

pic_02_05.png昭和に入ると太平洋戦争という大きな時代のうねりの中で、食べる米すらなく蔵元は統廃合を余儀なくされます。昭和20年、ようやく戦争は終わったものの、戦後の闇市には安価な密造酒が横行、高率な酒税がかかった正規のお酒はなかなか売れない状況が続きました。
しかし「良い酒を庶民のもとへ」の誇りを大切に、減税や密造酒対策の陳情を続けつつ、質の高い清酒の増産を目指す努力が続けられたのです。

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昭和20年代から地産地消の酒づくり。

pic_02_09.pngところで昭和27年の福岡県酒造組合役員会の協議事項に「1.糸島郡産地米の契約栽培の状況」という一文が見られるものですが、実は、福岡県は酒造好適米の一大生産地。なかでも福岡市の西の糸島地区が盛んで、このあたりの昼夜の温度差が酒造好適米の育成に適し、早くかた地産地消の酒づくりを行っていました。
昭和11年に普及がはじまった酒造好適米「山田錦」は、福岡では昭和20年代から栽培を開始、現在でもその生産量は全国二位。最近では福岡県オリジナルの酒造用米「夢一献」も誕生し、地元と密着した酒づくりを守り続けています。

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