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お酒のいろはにほへと

人の技と自然の力

いい水、いい米、そして優れた人の技。これらの要素がすべて揃わなければ、極上の銘酒は、生まれない。美味なる酒は、福岡で生まれる。酒造りという文化が花開いた、全国有数の酒どころ福岡。珠玉の雫が今日も生まれます。

博多焼酎学大全

博多焼酎は江戸時代、大宰府から始まったみたい。

pic_02.png博多焼酎の歴史は以外と古く、まずは江戸時代、粕取焼酎がその原点です。
不思議なことにこの粕取焼酎県下の主な産地は大宰府・粕屋・糸島・八女など大宰府天満宮の神領田所在地に限られており、また山口県防府天満宮や京都市北野天満宮といった大宰府と関係の深いところにも見られます。
確たる記録は残っていませんが粕取焼酎は、大宰府ととてもご縁があるようです。

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粕取焼酎って江戸時代の農業リサイクルだったんだ。

pic_03.pngなぜ、大宰府天満宮神領田を中心に粕取焼酎が広がっていったのか。
理由は、粕取焼酎づくりが江戸時代の農業リサイクルとしては絶大な効果を発揮したから。
1969年に「農業全書」をまとめた農学者宮崎安貞が広めたといわれるその製法は、打ち水をして数ヶ月熟成させた酒粕に籾殻を混ぜ、積み重ねたセイロで蒸してアルコール分を抽出するというもの。
酒成分が抜けた後の「下粕」は最上の肥料となり、農業増産に貢献しました。
米が原料の清酒粕からさらに粕取焼酎を採ってまた大地へと還元する、それはいまで言うリサイクルの原点だったのです。

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博多焼酎のルーツは、どこから来たんだろう?

古式にそった粕取焼酎の製法には、酒粕を団子にして、籾殻をまぶしてセイロで蒸す中国や朝鮮での蒸留法の影響が色濃いため、博多焼酎の伝来は朝鮮半島経由の北回りルートであった可能性が高いと考えられます。東南アジア~琉球経由である南九州の焼酎とはルーツが異なるものです。

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