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お酒のいろはにほへと

人の技と自然の力

いい水、いい米、そして優れた人の技。これらの要素がすべて揃わなければ、極上の銘酒は、生まれない。美味なる酒は、福岡で生まれる。酒造りという文化が花開いた、全国有数の酒どころ福岡。珠玉の雫が今日も生まれます。

博多焼酎学大全

早苗饗ってなんだ?

pic_04.png「早苗饗」とは田植えの共同作業を終えた後に行われた宴のこと。農家にとって最も過酷な労働だった田植えが終わると、その労をねぎらうためご馳走と酒が振る舞われました。そこで酌み交わされた酒が粕取焼酎だったのです。
疲れを癒すのにヌケのいい焼酎が好まれたのは今も昔も同じ。またお盆に粕取焼酎に砂糖や蜂蜜などを加え暑気払いに飲む「盆焼酎」の風習もありました。それほど粕取焼酎はかつての民族文化と深い係わりがあったのです。
しかし歴史ある習俗・早苗饗も、農作業の機械化が進むにつれ消滅していきました。

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粕取とカストリって、まったく別物なんだ。

pic_05.png1940年代後半、戦後の物不足の時期に、焼け跡に建った闇市で密造のもろみ取り焼酎が飲まれていました。それが俗にいう"カストリ焼酎"。あまりの臭さに鼻をつまんで飲んだという戦後闇市のカストリ焼酎と江戸時代以来の古式蒸留による「粕取焼酎」は、原料も違えば製法も違う、それぞれまったくの別物なんですね。


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とにかく飲みたい!そんな時代に雑穀で焼酎づくり。

pic_06.png戦中戦後の食糧不足に加え進駐軍の米統制も加わった1940年代後半は、は、酒づくりにとっても過酷な次期でした。
食べる米さえないのですから、清酒の生産は僅か、原料の清酒粕も当然手に入りません。そこで福岡県の酒造家たちは、とうもろこし・高梁といった雑穀さらには甘藷・麦・米粉などで焼酎づくりに朝鮮を繰り返しました。そう、原料不足の時代は福岡でも芋焼酎が造られていたのです。愛飲家の願いに応えたいと取り組んだ試行錯誤の数々が、博多焼酎の現在へと繋がっています。

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